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A 150-Year Voyage
and the Two Nikolais
150年の航跡と二人のニコライ


藤安仲之助の系譜と二人のニコライ

時を超えて響き合う、音楽が結んだ不思議な運命

 

 

 

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時を超えて響き合う、 音楽が結んだ不思議な運命 ロシア皇太子ニコライを迎えた高祖父 ――明治24年、鹿児島で交差した二つの歴史 私の人生の背景には、教科書に記された歴史と、自分自身のルーツとが交わる、不思議な巡り合わせがあります。その舞台となったのは、明治24年(1891年)5月の鹿児島です。  このとき日本を訪れていたのは、ロシア帝国の皇太子ニコライ。後にロシア最後の皇帝、ニコライ2世となる人物です。当時22歳だった彼は、シベリア鉄道の起工式に向かう旅の途中、親善を目的に日本各地を巡っていました。異国の文化や風景に触れるこの旅は、若き皇太子にとって、日本という国を自らの目で知る機会でもありました。 当時の日本は、明治維新から20余年。西洋の制度や技術を取り入れながら、近代国家としての姿を整えつつありました。一方、薩摩の地には、かつて幕末の動乱を担った土地としての歴史と文化が息づいていました。ニコライ皇太子の目には、近代化へと歩みを進める日本と、独自の伝統を大切にする日本の姿が、どのように映ったのでしょうか。 皇太子ニコライ(右)と一緒に来日した 彼の従兄弟でギリシャ王子のゲオルギオス(左) 長崎などを経て鹿児島を訪れたニコライ皇太子一行は、盛大な歓迎を受けました。明治24年5月6日には、鹿児島県知事らとともに撮影された集合写真が残されています。その写真は、遠いロシアからやって来た皇太子一行と、彼らを迎えた当時の鹿児島の人々とが、同じ歴史の一場面に立っていたことを今に伝えています。 そして、この歴史的な奉迎に関わった人物の一人が、私の母方の直系高祖父、藤安仲之助(1858–1901)でした。 当時、市参事会員を務めていた仲之助は、皇太子一行の奉迎に尽力したと伝えられています。有栖川宮威仁親王殿下や旧薩摩藩主・島津忠義公らが関わる、国家的にも重要な賓客の接遇。その一端を担った仲之助の姿を思うと、明治日本が国際社会との関係を築こうとしていた歴史の現場に、自分の祖先がいたことに深い感慨を覚えます。 しかし、この訪日には、後世にまで語り継がれる出来事が待ち受けていました。 1891年(明治24年)5月6日、仙厳園で撮影。 有栖川威仁親王殿下、鹿児島県知事、皇太子ニコライ、ニコライの従兄弟で ギリシャ王子ゲオルギオスの姿も見られる。 (国立公文書館 デジタルアーカイブや宮内庁宮内公文書館などに所蔵・公開) 鹿児島での歓迎からわずか5日後の5月11日、ニコライ皇太子は滋賀県大津で警備中の巡査に斬りつけられ、負傷します。いわゆる「大津事件」です。日本政府はロシアとの関係悪化を避けるため、懸命な対応を迫られました。明治天皇自らが京都へ赴いて皇太子を見舞い、日本側は誠意を尽くして対応しました。この事件は、日本の外交と司法のあり方を大きく揺さぶった歴史的事件として知られています。それでも、ニコライ皇太子の日本への感情は、事件によって失われたわけではありませんでした。外務省に残された外交記録によれば、帰国後のニコライは、日本に対して好意的な感情を保っていると述べています。翌1892年には、日本語で感謝を伝え、日本への好意を改めて表明したことも記録されています。 この事実は、私にとって印象深いものです。異国を訪れ、思いがけない事件に遭遇しながらも、日本での経験のすべてが否定されたわけではなかった。そこには、国と国との関係だけでは語り尽くせない、人と人との交流の一面があったのではないでしょうか。 玉里島津邸のバルコニーから 侍に扮した地元民のパレードを観覧する皇太子ニコライら 皇太子ニコライら国賓のために行われた 侍の衣装を着た地元民によるパレード 仲之助は、有力者・実業家として鹿児島経済の近代化にも尽力し、鹿児島商業会議所の設立などに関わった人物です。その歩みをさらに遡ると、幕末に薩摩藩の御用商人として活動し、坂本龍馬を資金面から支えたと伝えられる彼の父(私の母方直系の玄祖父にあたる)藤安吉次郎へとつながります。 幕末に新しい時代を志す人々を支えた吉次郎。そして明治時代には、地域経済の発展を担い、ロシア皇太子を迎えるという国際交流の舞台にも関わった仲之助。 二人の生きた時代をたどると、社会が大きく変わるなかで、それぞれの立場から時代を支えた一族の歩みが浮かび上がってきます。 島商業会議所設立発起人総代として最初に仲之助の名前がみられる 私の母方のもう一人の直系高祖父、飛岡吉次郎と 藤安家から貴族院議員(多額納税者議員)藤安辰次郎の名前も。 それから一世紀以上の歳月が流れた2009年──。 私は音楽を志し、ロシア音楽の最高峰であるモスクワ音楽院へと留学いたしました。かつて高祖父がロシアからの国賓を歓迎したその奇しき縁に導かれるように、私はそのモスクワの地で、現在の夫である国際的ピアニストのニコライ・サラトフスキーと出会い、生涯の伴侶となる温かい縁に恵まれました。 現在、夫は演奏活動の傍ら、日本各地でのマスタークラス(特別指導)などを通じて、次世代を担う日本人ピアニストの育成に深く力を注いでおります。 かつて先祖がロシアのニコライ皇太子を歓迎したように、時を超えたいま、私たちは「ニコライ」という名とともに、音楽という万国共通の言葉を通じて、国境を越えた深い絆を家庭の中に、そして日本の芸術教育の中に育んでおります。 先祖たちが遺してくれた歴史への敬意を胸に、これからも音楽を通じた美しい調和と、未来の才能を育てる活動を、静かに支え続けていきたいと願っております。 エレーナ・リヒテル教授と (二〇〇九年) 10年後にロシアのテレビ番組の撮影で リヒテル教授を訪問 (2019年) NIKOLAI SARATOVSKY ――音楽で紡ぐ、新たな文化の懸け橋   一世紀以上前、私の先祖がニコライ皇太子を真心の文化でお迎えしたように、現代の日本において、もう一人の「ニコライ」が、音楽という目に見えない美しい言葉を通じて新たな歴史を刻んでいます。 世界を舞台に活躍する夫、ニコライ・サラトフスキーにとっても、この家族の歴史との出会いは大きな驚きであり、同時に日本での活動に深い意義を与えるものとなりました。かつて日本の人々が真心の文化でもてなした海外への敬意は、長い歳月を経ていま、夫から日本の若い音楽家たちへの恩返しのような情熱へと形を変えています。  夫は日本各地でのマスタークラス(特別指導)などの教育活動に深く力を注いでおり、本場の正統な伝統と技術を惜しみなく伝えることで、次世代を担う日本人ピアニストの育成に魂を注いでいます。 かつて先祖が心を尽くした国際交流の精神を受け継ぐように、私たちは家庭の中に、そして日本の芸術教育の現場に、国境を越えた美しい調和の輪を静かに広げていきたいと願っています。 2026年10月 岩本夏菜子 KANAKO IWAMOTO, Pianist 日本の歴史と西洋クラシック音楽の伝統を背景に持つピアニスト、岩本夏菜子。 岡田文化財団の助成金給付生として海外に渡り、モスクワ音楽院(チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院)に留学。同音楽院では、ネイガウス楽派の伝統を受け継ぐ著名なピアニストであり教育者でもあるエレーナ・リヒテル教授に師事しました。長年にわたる研鑽の日々は、現在の彼女の演奏表現と芸術的な感性を形づくる、かけがえのない礎となっています。 日本の幕末・明治という大きな変革の時代を生きた先祖から、音楽の伝統を深く学び、独自の芸術表現を追求する現代のピアニストへ。その歩みには、時代や国境を越え、世代を超えて受け継がれてきた歴史と文化のつながりが息づいています。 高祖父が遠来の国賓を迎えたあの日から、一世紀以上の歳月が流れました。時を経て、今度は音楽という芸術を通じて、異なる文化や時代が静かに結びついていく。長年の研鑽を通じて大切に育んできた音楽への情熱が、ピアノの旋律となって人々の心に響き、遠い過去と現在をつなぐ架け橋となれば幸いです。 Nikolai Saratovsky, Pianist ベルギーに本拠地を置く International Certificate for Piano Artists の会員に選ばれ、フィリップ・アントルモン、ミシェル・ ベロフら著名ピアニストとともに世界各国で活動を共にし、ニューヨーク・タイムズなど世界各国の主要誌で賞賛されている世界的に活躍するピアニスト。6歳でピアノを始めてすぐに才能を認められ、名門モスクワ音楽院付属中央音楽学校に入学。スタニスラフ・ブーニンやラドゥ・ルブーらを育てた名教授エレーナ・リヒテルのもとで学ぶ。2001年ロシア教育省より奨学金を授与、ジュリアード音楽院に特待生として招待。2010年、モスクワ音楽院を首席卒業。同音楽院において歴代の最優秀卒業生の一人としてプレトニョフやポゴレリチ、スルタノフらと共に名前を刻まれる。 教育分野では、2020年台湾の国立台北教育大学ピアノ科教授に就任。国際コンクールの優勝者及び上位入賞者を多く輩出し、世界の音楽教育機関よりマスタークラスや国際音楽祭に招聘されている。